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你知道日語裏“暴言”是什麼意思嗎?

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padding-bottom: 77.64%;">你知道日語裏“暴言”是什麼意思嗎?

「暴言」とは、他者の立場や人格、考えなどを無視し、傷つけることを意図して発する暴力的な言葉のことです。

“暴言”是指無視他人的立場、人格、想法等,以傷害他人爲目的而發出的暴力性語言。

物理的な暴力は、人の身體も心も傷つけます。言葉の暴力も、人の心を傷つけることで、その人の健康や生活にまで悪い影響を及ぼす可能性のある罪深いものです。

物理性質的暴力會傷害人的身體和心靈。語言上的暴力,也會傷害別人的心靈,甚至會給那個人的健康和生活帶來不好的影響,罪孽深重。

実際、名譽棄損で訴えられ、法的に罰せられる例もあり、単なる悪口というレベルのものではありません。

實際上,也有因爲名譽損失而被起訴,受到法律處罰的例子,並不是單純的壞話這種程度。

「暴言」の使い方

“暴言”的使用方法

(A男)

(A男)

部長から、『お前が低學歴でこの會社に入れたのは、コネだろう?迷惑な話だ』と言われたんだ。

被部長說:“你低學歷還能進入這家公司,是因爲託關係吧?真麻煩”。

実力で入社したのに、あまりの暴言だし屈辱だよ。パワハラで訴えようかな

明明是憑實力進公司的,說得太過分了,真是屈辱。起訴他職權騷擾吧

(B子)

(B子)

バイト先の店長って、暴言し放題なの。

我打工地方的店長啊,什麼過分的話都亂說。

ジュディのことは「お前は肌の色が黒いから接客はするな」とか、私には「太っているんだからまかないはいらないよな」とか。

對朱蒂說:“你的膚色太黑了,就不要接待客人了。”。對我說“你太胖了,就不需要員工餐了吧”。

SNSで告発してみるつもりよ。

我打算在SNS上揭露他。

「暴言」の範囲

“暴言”的範圍

どのような発言を「暴言」と捉えるかは、論議されるところです。他者を傷つけたり、侮辱したりする言葉、という定義はあるとしても、悪意はあったのか、実は親愛の情をこめていたのか、受け手が敏感すぎたのか、など、様々に異なる背景や狀況があるからです。

怎樣的發言會被認爲是“過分的言論”,這一點備受爭議。雖然有傷害他人、侮辱他人的詞語這樣的定義,但是否有惡意,實際上其實是包含着愛的感情,還是聽的人過於敏感等,因爲情形和狀況不同都各不相同。

異なる背景における「暴言」

不同情形下的“暴言”

仮に背が極端に低くて悩んでいる少女がいたとします。彼女の戀人が、愛にみちた笑顔で、「可愛いおチビちゃん」と呼びかけた場合、逆にその少女は愛を感じ、コンプレックスさえ手放せることになるかもしれません。

假設有一位因爲個子實在太低而煩惱的少女。她的戀人帶着充滿愛的笑容,叫她“可愛的小矮人”的話,反而會讓那個少女感受到愛,甚至都會放下自卑。

またその少女が、アイドル志望だったとします。あるオーディションに參加したところ、審査員が皮肉たっぷりの冷たい笑顔で「可愛いおチビちゃん、どうぞこのままお帰りください」と言ったとします。これは、少女の心を傷つけ、かつ名譽棄損にさえあたりそうな暴言となります。

另外,那個少女還想成爲偶像。參加某次試鏡的時候,審查員帶着充滿諷刺的冷笑說:“可愛的小矮子,請就這樣回去吧。”。這樣少女就會感覺受到傷害,而且是相當於損害名譽的暴言。

言葉の暴力性

語言的暴力性

結論としては、悪意や意図がなかったとしても、結果的にその言葉で人が傷ついた場合は「暴言」とされます。

結論是,即使沒有惡意或這個意圖,但如果結果是因爲那句話而傷害到別人的話,會被認爲是“暴言”。

逆に、受け手が笑い飛ばしたとしても、暴力的な言葉は「暴言」。基本的に、暴言の基準は、発し手と受け手の意図や感情によるのではなく、言葉そのものが持つ暴力性による、と言えそうです。

相反,即使對方一笑了之,暴力性的語言也是“暴言”。基本上,暴言的基準不是根據發言者和接收方的意圖和感情,而是根據語言本身的暴力性來判斷的。

例え、背景が愛情だったとしても、「チビ」などのように、身體的な特徴についての発言、人種や出自などに觸れての発言などは控えるべきでしょう。

例如,即使是愛情的背景下,像“小矮子”這樣,對於身體特徵的發言,涉及人種和出身等的發言也應該控制使用。

「暴言」の類語と使い方

“暴言”的近義詞和用法

「暴言」の類語には、「失言」「放言」「罵倒」などがあります。共通する意味としては、非禮な言うべきではない発言、ですが、それぞれに異なるニュアンスがあります。

“暴言”的近義詞有“失言”“放言”“罵倒”等。共通的意思是不應該說失禮的話,但是也有各自不同的語感。

失言

失言

「失言」とは、言うべきでない言葉を、図らずも口にしてしまうことです。自ら気づかないということからも、悪意はなく、かつ內容も攻撃性のないものが殆どです。

所謂“失言”,就是無意中說出了不該說的話。基本都是因爲自己沒有注意到,所以沒有惡意,而且內容也沒有攻擊性。

(C男)

(C男)

環境問題擔當の役人が、「夏はペットボトル飲料を山のように買い込む」と言ったんだぜ。

負責環境問題的官員居然說:“夏天會買很多塑料瓶飲料。”。

プラスチック対処が國際問題なのに、たいした失言だよね。

明明塑料處理是國際問題,這是嚴重失言了。

放言

放言

「放言」とは、他者の心や狀況への配慮なく、思ったままを無責任に口にすることです。「暴言」に比べて意図的な悪意はありませんが、「失言」と比べても他者への気遣いや思いやり、という態度はなく、結果的に他者を傷つける場合もあります。

所謂“放言”,就是不考慮他人的心情和狀況,將自己想的東西不負責任地說出來。與“暴言”相比,雖然沒有故意的惡意,但與“失言”相比,沒有對他人的關心和體貼,就結果而言也有傷害他人的情況。

(D子)

(D子)

鈴木課長が、「うちの課には覇気が足りないな。業績アップしないのも、男が少ないからだよ」って言ったのよ。

鈴木科長居然說:“我們的科霸氣不夠啊。業績不提高也是因爲男生少啊”。

実際は女性陣の売上のほうが大きいのに、あまりに無責任な放言だわ!

實際上女性的銷售額明明很多,實在是太不負責任的信口開河了!

罵倒

罵倒

「罵倒」(ばとう)とは、攻撃的な言葉で他者を激しくののしることです。「暴言」の対象は特定の他者のみならず、人以外の事象や狀況も含まれますが、「罵倒」の対象は、特定の他者であることがほとんどです。悪意も強く、攻撃性の高い言葉です。

“罵倒”(batou)是指用攻擊性的語言對他人進行猛烈的咒罵。“暴言”的對象不僅包括特定的人,也包括人以外的現象和狀況,“罵倒”的對象大多是特定的人。是惡意也很強,攻擊性很高的語言。

ただし、政治討論會や、悪しき権力への告発などの場面で、正義の罵倒とも言うべき発言が見られることもあります。

但是,在政治討論會、告發惡勢力等場合,也可以被當作是正義的聲討,不得不發聲。

必ずしも、悪意による傷つけではなく、他者の非を激しく攻撃し、ののしる、という場合があることに留意しましょう。

一定要注意,也有並非惡意傷害他人,而是對他人的錯誤進行激烈攻擊、咒罵這種情況。

(E男)

(E男)

昨日の役員會議は、まるで戦場だったよ。

昨天的董事會簡直就像戰場一樣。

A社に吸収合併されるかどうかの瀬戸際だから、賛成派、反対派入り亂れての罵倒合戦で、會議の體をなさなかった。

因爲是面臨會不會被A公司吸收合併的緊要關頭,在贊成派、反對派混雜的謾罵大戰中,會議並不是很體面。

役員がこんなありさまでは、合併やむなしと見たよ。

如果幹部是這樣的情況,看來合併是枉然的。

本翻譯爲滬江日語原創,未經授權禁止轉載。

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