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日本拉麪、中國拉麪、到底有何不同?

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日本には數えきれないほどラーメン屋さんがありますよね。

padding-bottom: 66.09%;">日本拉麪、中國拉麪、到底有何不同?

在日本,有數不清的拉麪店。

各地にご當地のラーメンがあり、その土地のラーメンを食べるために旅行をするという人もいるほどです。

每個地方都有本地拉麪,甚至有爲了吃當地的拉麪而去旅行的人。

今回は日本人が大好きなラーメンの起源や歴史、中國のラーメンとの違いなどについて調べてみました。

這次,就爲大家介紹一下日本人最喜歡的拉麪的起源和歷史,以及與中國拉麪的不同吧!

ラーメンとは?

拉麪是什麼?

ラーメンは小麥粉を原料とする中國発祥の中華麪とスープを主とする食べ物です。

拉麪是以小麥粉爲原料、以發源於中國的中華面和湯爲主的食物。

漢字で「拉麪」と書き、「らあめん」「らーめん」「らうめん」のようにひらがなで表記することもあります。

在日語中漢字寫成“拉麪”,也有用平假名「らあめん」「らーめん」「らうめん」這樣表示的。

別名を「中華そば」や「南京そば」といいますが、そば粉は使いません。

雖然別名叫做“中華蕎麥麪”、“南京蕎麥麪”,但並不是用蕎麥粉做的。

日本の中華麪は「かん水」というアルカリ塩水溶液を用いて作ります。

日本的中華面是用叫做“鹼水”的鹼性鹽水溶液做的。

同じ小麥粉の麪で「うどん」がありますが、うどんは「かん水」ではなく水を用いて作るため、異なる麪が出來あがります。

同樣是用小麥粉的做的“烏冬面”,用的是水,而不是用“鹼水”做的,所以就會出現不同種類的面。

スープは、豚骨、鶏ガラ、牛骨、昆布、魚介など様々なものがあり、ひとつのものだけではなく、複數を組み合わせるものもあり、お店や地域によって様々です。

湯裏有豬骨、雞骨、牛骨、海帶、魚貝類等各種各樣的東西,不僅僅只是其中一種,也可以有多種組合,根據店鋪和地區而有所不同。

具はチャーシューやメンマ、海苔、ネギ、卵などですが、こちらもお店や地域によって様々です。

配料有叉燒、幹筍、海苔、蔥、雞蛋等,這些也根據店鋪和地區而有所不同。

日本のラーメンの起源と歴史とは?

日本拉麪的起源和歷史?

日本でラーメンが初めて作られたのは、江戸時代(1603年~1868年)という説が有名です。

在日本,流傳較廣的說法是在江戶時代(1603年~ 1868年)最早做出了拉麪。

1665年に徳川光圀(水戸藩2代藩主、水戸黃門と呼ばれ親しまれている)が、中國から招いた朱舜水(しゅしゅんすい・中國の儒學者)の作った「汁そば」を食べたといわれています。

1665年,德川光圀(水戶藩第2代藩主,被人們親切地稱爲水戶黃門)吃了從中國聘請的朱舜水(中國的儒學學者)做的“湯麪”。

この「汁そば」がラーメンのことだとされ、「日本で初めてラーメンを食べたのは水戸光圀」という説が信じられてきました。

這種“湯麪”被認爲是拉麪,人們也相信“水戶光圀是日本第一個吃拉麪的人”。

しかし、平成29年(2017年)に、室町時代(1336年~1573年)の史料「蔭涼軒日録(おんりょうけんにちろく・僧の日記)」にラーメンに関する記述が見つかったそうです。

但是,在平成29年(2017年),人們在室町時代(1336年~ 1573年)的史料《陰涼軒日錄》中發現了關於拉麪的記載。

そこには、1488年に京都の僧侶たちが「経帯麪(けいたいめん)」という、「かん水」を使った麪類を食べたと記されており、現在のラーメンの麪と同じものではないかと考えられています。

該文獻中,記載着1488年京都的僧侶們吃了一種用“鹼水”做成的“經帶面”,這種面被認爲是與今天的拉麪一模一樣的東西。

ラーメンが日本中に広まったのは、明治時代(1868年~1912年)になってからです。

拉麪在日本廣泛普及的時間是在明治時代(1868年~ 1912年)之後。

海外との交流が増え、食文化も伝わってきたこのころに、中國の麪料理が日本に伝わりました。

隨着與海外交流的增加,飲食文化也開始傳入日本,中國的麪食隨之傳到了日本。

明治5年(1872年)に、現在の橫浜中華街に中國人たちが中華料理店を開業し、日本人も「南京そば」を食べるようになりました。

明治5年(1872年),在現在的橫濱中華街,中國人紛紛開起了中華料理店,日本人也吃到了“南京蕎麥麪”。

明治初期頃はラーメンは「南京そば」と呼ばれており、現在のラーメンとは異なっていたようです。

明治初期,拉麪被稱爲“南京蕎麥麪”,和現在的拉麪稍微有些不同。

明治17年(1884年)に、北海道函館の「養和軒」という洋食店で「南京そば」が提供されました。

明治17年(1884年),北海道函館的一家名爲“養和軒”的西餐廳開始提供“南京蕎麥麪”。

詳しい資料が殘っていませんが、塩ラーメンだったといわれており、この「養和軒」のラーメンが日本のラーメンのルーツとされています。

雖然沒有留下詳細的資料,但據說是鹽拉麪,“養和軒”的拉麪被認爲是日本拉麪的起源。

明治43年(1910年)に、中國の麪料理と日本の食文化を融合させた日本初のラーメン店の「來々軒」が東京都淺草で開業し、醤油ラーメンの元祖といわれています。

明治43年(1910年),融合了中國麪食和日本飲食文化的日本第一家拉麪館“來來軒”在東京都淺草開業,被稱爲是醬油拉麪的元祖。

醤油ラーメンは、昆布や鶏ガラなどのスープに醤油ダレを入れ、あっさりとしたスープが特徴です。

醬油拉麪的特點是,在用海帶、雞骨等熬製的高湯里加入醬油調味汁,口味清淡爽口。

「來々軒」の前にも、ラーメンを提供するお店はあったようですが、「ラーメン店」の発祥は「來々軒」ではないかといわれています

在“來來軒”之前,好像也有提供拉麪的店,不過據說“來來軒”是第一家“拉麪專賣店”。

「來々軒」が人気となり成功したことで、東京ではラーメンを提供する中華料理店が次々に開店し、餃子や焼売などとともに、ラーメンは庶民的な中華料理店の定番メニューとして広まり、ラーメンの屋臺も増えました。

由於“來來軒”的人氣和成功,可以提供拉麪的中華料理店在東京陸續開張,和餃子、燒賣等小食一起,拉麪不僅成爲了“平民料理”,而且作爲中華料理店的招牌菜被推廣開來,賣拉麪的小攤也增加了不少。

大正12年(1923年)の関東大震災によって、関東でラーメン店を営んでいた人たちが日本全國へ散らばり、日本各地にラーメン店や屋臺が増えていきました。

由於大正12年(1923年)的關東大地震,在關東經營拉麪店的人們分散到了日本全國,日本各地的拉麪店和小攤不斷增加。

第二次世界大戦後になると、各地の闇市(やみいち・非合法の市場)で、安く食べられる屋臺のラーメンが人気となりました。

第二次世界大戰後,在各地的黑市(不合法的市場)上,便宜好吃的路邊攤拉麪大受歡迎。

昭和12年(1937年)に「とんこつラーメン」が福岡県久留米市の「南京千両」というお店で生まれました。

昭和12年(1937年)“豚骨拉麪”在福岡縣久留米市的一家名爲“南京千兩”的店裏誕生了。

最初は、とんこつを沸騰させずに長時間煮込んで作っていたので、澄んだスープだったそうです。

最初是沒有把豚骨完全煮開,而是通過長時間小火煮制,所以湯非常的清澈。

昭和22年(1947年)に誤ってとんこつを沸騰させてしまい、白濁したスープが誕生し、九州全域で提供される白濁した豚骨スープのルーツといわれています。

昭和22年(1947年),不小心把豚骨一下子煮沸了,濃郁的白湯誕生了,據說“南京千兩”是九州整個地區提供白湯豚骨拉麪的元祖。

昭和29年(1954年)には、「味噌ラーメン」が北海道札幌市の「味の三平」というお店で生まれました。

昭和29年(1954年),“味增拉麪”在北海道札幌市的一家名爲“味之三平”的店裏誕生了。

終戦後に札幌で屋臺のラーメン屋を始めた店主は「味噌は體に良い」と考えており、みそ汁をヒントに改良を重ね、味噌ラーメンを完成させたそうです。

據說二戰結束後,一家在札幌經營拉麪小攤的攤主認爲“味噌對身體好”,於是以味噌湯爲靈感不斷改良,做出了味噌拉麪。

さらに店主は健康に配慮してたくさんの野菜やニンニクを入れるようにし、現在の「札幌ラーメン」の基本を作ったといわれています。

而且攤主爲了健康考慮,加入了大量的蔬菜和大蒜,據說這是現在“札幌拉麪”的基本做法。

昭和40年代~50年代(1960年~1970年代)に、日本各地で観光資源としての「ご當地ラーメン」が作られるようになります。

昭和40年代~ 50年代(1960年~ 1970年),日本各地開始製作“本地拉麪” 作爲觀光資源的一種賣點。

「ご當地ラーメン」はスープやトッピングなどに特徴をもたせたもので、その土地に行かなければ食べられないこともあり、観光に一役買っており、現在は、日本人だけではなく外國人観光客もご當地ラーメンをおいしそうに食べている姿をよく見かけます。

“本地拉麪”以湯或材料等爲特點,有些不去到當地是吃不到的,對旅遊觀光發展也起到了很大的作用。現在,我們不僅能看到日本人,甚至一些外國遊客都津津有味地吃着本地拉麪。

また、地域にしばられず、ひとつの有名店からのれん分けをしたお店が日本各地に広がったり、世界へ進出したりと、日本のラーメンは進化を続けています。

另外,不受地區限制,從一家有名的店發展到連鎖店開滿日本各地,走向世界,日本的拉麪也在不斷地進化着。

中國のラーメンとの違いとは?

與中國的拉麪有什麼不同?

もともとは中國から伝わってきた麪料理ですが、ラーメンは日本で獨自の進化をしたので、中國と日本のラーメンは全く別のものになっています。

雖說原本是從中國傳來的麪食,但拉麪在日本經歷了“本土化”,所以中國和日本的拉麪是完全不同的。

以下に違いを挙げていきます。

以下列舉了它們的不同點。

●かん水

●鹼水

中國のラーメンと日本のラーメンの大きな違いは、麪に「かん水」を使用しているかどうかです。

中國拉麪和日本拉麪的最大區別在於麪條是否使用“鹼水”。

中國の麪は「かん水」を使用しておらず、日本のうどんに近い食感になっています。

中國的麪條沒有使用“鹼水”,口感接近日本的烏冬面。

「かん水」はアルカリ性なので、小麥粉のグルテンに作用して麪の弾力が増し、歯ざわりやコシが良くなり、小麥粉のフラボノイドが黃色に変化します。

因爲“鹼水”是鹼性的,在小麥粉的麩質作用下,麪條的彈性增加,口感和硬度變得適中,而小麥粉的黃酮類化合物也會變成黃色。

●麪の製法が違う

●麪條的製做方法不同

中國の麪は、手で引っ張りながら伸ばして作りますが、日本は製麪機で押し出して作ったり、平たくした麪を包丁で切ったりします。

中國的麪條是用手一邊拉一邊扯做的,而日本的則是用壓面機壓出來的,或者是用刀切扁平的麪皮做出來的。

●スープが違う

●湯底不同

中國では、豚肉、牛肉、海鮮などからスープを作りますが、日本は肉や魚介だけではなく、野菜や醤油、味噌など、さまざまな食材からスープを作ります。

在中國,用豬肉、牛肉、海鮮等熬製湯底,而日本不僅用肉和海鮮,還會用蔬菜、醬油、味增等各種各樣的食材熬製湯底。

中國のスープは基本的に薄味ですが、日本は複數の食材からスープを作ったり、濃く煮詰めたりするため、奧深く繊細でさまざまな味わいがあるといわれています。

中國的湯底基本上味道清淡,而日本的湯底是由多種食材熬製而成的,味道醇厚細膩,味道各異。

●麪が違う

●麪條不同

麪の太さや弾力、食感などは中國でも數多く種類がありますが、日本の場合は、スープに合うように麪が追及され、店舗ごとに細かく製麪方法が異なるなどこだわりがあります。

在中國,麪條的粗細、彈性、口感等可以有很多種,但是在日本,爲了和湯相搭配,麪條也十分講究,所以每家店的制面方法都不一樣。

お店によっては、註文時に麪の硬さやスープの濃さなどを調整することができます。

根據店的不同,點餐時可以調整面條的硬度和湯的濃度。

中國から伝わってきて日本で進化したラーメンは中國人にも人気があるようですよ。

從中國傳來,在日本“本土化”後的拉麪在中國人中也很受歡迎。

中國には數多くの麪料理がありますが、「ラーメン」と言えば日本を想像するくらい、日本のラーメンの認知度が高いそうです。

在中國有很多面食,但提起“拉麪”就會想到日本,由此可見日本拉麪的認知度非常高。

現在、日本のラーメン店の店舗數はなんと3萬件を超えているそうです。

據說,現在日本拉麪店的店鋪數超過了3萬家。

中國から伝わって、日本獨自の進化をしたラーメンは、今後もいろいろな進化をしていくでしょうね!

從中國傳來,拉麪經過了日本獨有的“本土化”,今後也將會有不一樣的創新吧!

本翻譯爲滬江日語原創,禁止轉載。